2022/01/09

二年ぶりの帰省やら、大掃除などを終え、新年早々ひと月分は人と喋ったような気がする。

祖父母の家ではいとこの子どもたちとも会った。

今年小学生になる人と、その弟である3歳の人の兄弟で、弟の方とは初めて会った。

祖父母の家にいる数時間で、彼らは常になにかドラマを起こし続け、笑ったり怒ったり泣いたり、クイズを出したりと、じっとしている瞬間がなかった。


子どもと呼ばれる年齢の人とちょっと話したり、遊んだりするのが好きだ。

テレビレポーターをしていた頃、知らない人の自宅にお邪魔することが頻繁にあり、そこで出会う初対面の子どもと話したり遊んだりするのが好きだった。

大人より話しやすいし、世間話ではなくて、一緒にお絵かきをしてくれる人が多かったからだ。大人と同席すると「一緒になんかお絵描きしませんか?」と誘うのはちょっと気がひけるので、黙っているか世間話をしたりすることになりがちだ。

何年か前の方が、今よりも世間話により敏感な時期だったのかもしれない。


今では初対面の人と会う回数もなくなったので、世間話も遠くなり、やさしいつばぜり合いのような緊張感も遠くからぼんやり思い出すくらいでいいし、そもそもおぼろげにしか思い出せなくていい感じなのだ。

なにがいい感じなのかと言うと、他人の世間話に対して、内面で渦巻く細かい感想や疑問や不安を自分で聞くことがなくなったのがいいのかもしれない。内弁慶そのものだ。


常に動き続ける従甥(いとこおい)ふたりは、まさに子どもらしい子どもだった。

私にもこのような頃があったのだろうなあと思って母に聞くと「あなたはいつも黙々と机か床でお絵描きしていたよ」と言われた。

記憶の中の私はもうすこしふざけていたけれど、子どもにも家の顔と外の顔もあるし、そこまで厳密になくとも親の前での顔がある。

しかしたしかに、親の前でなくとも子供のころの私はひたすらお絵描きをしていた。とにかく絵を描くのが好きでたまらなかった。


大人になったら画家になるのかなあと思っていた。

自分に絵画は無理だ、としっかり思ったのは高校生の頃、友達と美術予備校の体験クラスに行った時だった。

木炭を使った流木のデッサンだった。

美術部に入っていた彼女の絵はたしかにしっかりと上手で、でも、彼女はそこに満足している様子もなく口を固くむすんでいた。私の描いた流木は、表面がぬめぬめしていた。

元から美大を目指していた訳ではないのに興味本位で予備校を覗き、そこではっきり私に絵は無理だ、と思ってからは、なんとなく遠ざかっていたお絵描きがもっと遠ざかった。

その前か後かはわからないけれど、写真を撮り始めたのは高校生の頃だった。


ロエベとスタジオジブリがコラボして作ったという、ススワタリのバッグの画像を見た。

私の犬に似ていた。写真はない、5年くらい使ったカメラをしばらく前に壊したからだ。

雪の日の電線も撮れなくて本当に悔しかった。

次に買うカメラはもっといいものにしよう、と思っていたけれど色々加味して、これまで使っていたカメラと同じ機種をネットショッピングのサイトでポチッと買った。

月曜には届くらしい。カメラを作った人や、届けてくれる人は、これまでで何を選んで、どんなことに見切りをつけてきた人のかなあと思う。

今年の私はなにを選び、なにを選べないのだろう。黒くて小さな犬が白い座布団の上で丸くなっている。


2022/01/09


電線礼讃

石山蓮華 電線愛好家・文筆家・俳優 お仕事のご相談はdensenraisan@gmail.comまでお気軽にご連絡ください。 頂いた内容は、Jungle.inc 担当者と共有させていただく場合がございます。